今週も大学の昼休みの御ミサに与ってきました。
今日(正確には昨日)は聖フランシスコ・サレジオの記念日。
自分の大好きなサレジオ会の保護聖人の記念日です。
が、先週と同じ(パテナからの聖体拝領の)神父様でした。
御ミサが始まる前に神父様に、
「貴方の信心を否定する気はありませんが、私は跪きと舌による聖体拝領が気に食わないです」といった内容のことを言われました。
御ミサの前に口論をする気はないので黙って聞き流しておきました。
そして御ミサが始まる数分前になった時神父様が口を開き…、
「今回のミサはずっと座ったままでやりましょう。聖体拝領のときだけ立ちましょう。」と言いました。
その時点で自分は「えっ。」と心の中で驚いていたのですが、更にミサの司会担当のシスター(援助修道会)も、
「じゃあそうしましょう。」と二つ返事だったのにも驚きました。
そして御ミサが始まりました。与っていたのは自分とシスターを含めて8人。
信徒は勿論座ったまま。更に神父様も(祭壇の横の椅子に)座ったまま…。
座ったままで「父と子と聖霊の御名によって…」と始まり、
回心の祈りも、集会祈願も座ったまま…。
集会祈願は一部が省略されていました。
第一朗読は流石に朗読者(シスター)は立っていました。
が、福音朗読の際の神父様は座ったまま…。
「キリストに賛美」は省略…(もしかしたらただ単に神父様が忘れただけかも知れません。)
そしてお説教はフランシスコ・サレジオの話には全く触れず、
ひたすら「キリスト教一致週間」の話のみ。
そして感謝の典礼。(流石にこのときは神父様は祭壇のところに立っていました。)
跪こうか跪かないか正直悩んでいました。
が、やっぱり自分は跪かないければいけない、と思い覚悟を決め。
ひたすら聖人に祈りを取り次いでもらっていました。
聖ヨハネ・ボスコ、どうか私のために祈りたまえ…
聖ドメニコ・サビオ、どうか私のために祈りたまえ…
聖ピオ10世教皇様、どうか私のために祈りたまえ…
聖ペトロ・クリソロゴ、どうか祈りたまえ…
尊者ピオ12世教皇様、どうか祈りたまえ…
尊者ヴィンセンチオ・チマッティ神父様、どうか祈りたまえ…
そして聖変化の時、覚悟を決めて跪くと自分以外にも4人の方が跪き。
思わず涙を流しながら御聖体を仰ぎ見ていました。
聖人が祈りを取り次いでくださったのでしょうか。自然と涙が溢れ出てきました。
そして聖体拝領。
先週と同じく、パテナから自分で御聖体を取る形式。
前回の記事で「キリストの体」「アーメン」のやり取りは無かったと書きましたが、自分の思い違いのようでした。
パテナを持った神父様が「キリストの体」、と言ってから「アーメン」と信徒が言って御聖体を受け取っていました。
そして自分の番。
神父様「キリストの体」
自分「祝福をお願いします。」
神父様「キリストの体(イラついた口調で)」
自分「祝福をお願いします。(震えた声で)」
と言うと祝福を下さいました。
ずっと頭を下げていたので表情は分かりませんが、多分渋々だったのではと思います。
そして派遣の祝福。
これも神父様以外は座ったまま。
こうして御ミサは終わりました。
神父様にからまれるのが嫌だったので直ぐにチャペルを出て、大学隣のイグナチオ教会へ。
そこで「霊的聖体拝領の祈り」と「司祭のための祈り」、「聖会のための祈り」を唱えました。
2週間に渡って妙な聖体拝領を経験した訳ですが、
(まともな神父様方もいらっしゃるのは重々承知ですが、)この件でイエズス会に対しての不信感が強くなってしまいました。
そして援助修道会のシスターにもがっかりでした。
カトリック学生の会に入っていない自分如きの名前を覚えてくれ、気を使ってくださる優しい方なのですが、
やっぱりあそこでは「いや、神父様、ちゃんと立ちましょう。」と言ってもらいたかったです。
とりあえず早急に大司教様に手紙を書こうと思います。
Rickさんのアドバイスの通り、「駄目ですよね?」ではなくあくまでも「質問状」として…。